奈良時代:農民逃亡が多発!その背景とは

奈良時代は多くの変革と動きが見られる重要な時期です。

その中でも、特に注目されるのが「農民逃亡」という現象です。

奈良時代の農民逃亡は、単なる個別の事件ではなく、当時の社会背景や制度、政策など多くの要因が絡み合って生じたものであります。

この記事では、なぜ奈良時代に農民逃亡が多発したのか、その背景や原因について探ることで、この時代の農民の生活や心情、さらには当時の政府の方針などを理解していきたいと思います。

ポイント

  • 奈良時代の農民の生活環境
  • 農民逃亡の主な原因や背景
  • 当時の税制や律令制度の影響
  • 逃亡がもたらした社会的・政治的影響

奈良時代の農民逃亡の背景:概要

奈良時代とは

奈良時代は、日本の歴史における重要な時代で、大化の改新から平安時代の初めまでを指します。

その期間は、おおよそ8世紀の初めから終わりまで続いたものであり、この時代には、中央集権的な国家構造の基盤が形成されました。

当時の日本は、中国の影響を強く受けており、文化や政治、経済に至るまで多くの変革が見られました。

その中で、農民の生活や税制にも大きな変化が生じ、これが後の農民逃亡の原因となる要素を生んでいったのです。

文化にみられる特徴

奈良時代の文化は、中国や朝鮮半島からの影響を強く受けていました。

このような背景から、多くの文化・技術や学問が日本に伝えられ、都市や寺院建築における独自のスタイルが生まれました。

例えば、仏教が盛んになり、東大寺や法隆寺などの大規模な寺院が建立されました。

また、書物や絵画、彫刻といった芸術分野でも、新しい技法やスタイルが導入され、日本独自の文化が花開き始めた時期でもありました。

政治にみられる特徴

政治面では、奈良時代は天皇を中心とする中央集権的な国家体制が確立された時期として知られています。

律令制度の導入により、国の統治機構や法制度が整備され、国土全体の支配と管理が行われました。

この時代の政治の特徴として、地方に配置された国や郡という行政区分が設けられ、それぞれの地域の統治や税収の役割を担いました。

また、都市計画や法制度、経済政策など、多岐にわたる政策が展開され、国家の基盤を築く上での重要な役割を果たしました。

律令制度の税制

奈良時代に確立された律令制度は、税制においても大きな影響を及ぼしました。

この制度のもとで、各家族や個人に対して、一定の税が賦課(ふか)されるようになりました。

具体的には、「租庸調」(そようちょう)という三つの主要な税が存在し、これらはそれぞれ異なる形態の税として機能していました。

また、律令制度の税制は、租税の賦課や徴収、配分など、一連のプロセスが詳細に定められており、国家の収入源として非常に重要な位置を占めていました。

この税制のもとで、農民たちは重い税負担に苦しむこととなり、逃亡や反乱を引き起こす要因となったのです。

多くの農民が持てなくなった土地や、支払えなくなった税金のために、逃亡や反乱を選ぶようになりました。

このような状況は、後の時代への影響も及ぼし、政治や経済の動きに大きな変化をもたらすこととなりました。

公地公民とは

公地公民とは、奈良時代の基本的な法制度の一つで、文字通り「公の地」と「公の民」という意味を持ちます。

この制度の下では、全ての土地と人々は国家、すなわち天皇のものとされ、国家の統制と管理の下に置かれました。

これにより、土地の所有や利用、人々の職業や税の賦課などが国家によって規定されるようになりました。

この制度は、中央集権的な国家体制を支える基盤として機能し、税収や労役の供給を確保する上で非常に重要な役割を果たしていました。

しかし、その後の時代においては、この制度のもとでの重税や労役の負担が増大し、農民の逃亡や反乱の原因となる要素を生み出すこととなりました。

租庸調とは

租庸調(そようちょう)は、奈良時代の税制を代表する三つの主要な税のことを指します。これらの税は、国家の財政を支える基盤として設定されました。

「租」は、農民がその耕作地から得た収穫の一部を税として納めるものを指します。この税は、農作物の収量に応じて変動し、不作の年や天災などで収穫量が少ない場合、農民の生活を圧迫することがありました。

「庸」は、農民が一定期間、国や地方の公共事業に労役として従事することを指します。この労役には、道路や橋の建設、水路の整備など、さまざまな公共事業が含まれました。労役の期間中、農民は自らの農作業を行うことができないため、生計を立てる上での負担となりました。

「調」は、農民が生産した特定の商品や物資を納税として提供することを指します。これには、布や鉄器、塩などの日常生活に必要な物資が含まれ、これらの物資は都での政府の運営や、外交のための贈り物として使用されました。

租庸調の税制は、国家の収入を確保するための重要な役割を果たしていましたが、農民にとっては重い負担となり、多くの農民が税を納めることができず、逃亡や反乱を起こす原因となったのです。

奈良時代の農民逃亡の背景:農民の義務

雑徭

雑徭(ぞうよう)とは、農民たちに課されたさまざまな労役のことを指します。

この労役は、国や地方の公共事業や建築活動などのために、一定期間、労働力として働くことが求められました。

しかし、この労役は、農民たちにとっては非常に重い負担となりました。

なぜなら、彼らは自らの農作業を放棄して、長期間の労働に従事しなければならなかったからです。

運脚

農民たちは物資の運搬を行うことが求められました。

具体的には、国や地方の公共事業や都市への物資輸送など、さまざまな運搬作業に従事しました。

運脚の労役は、重い荷物を背負って長距離を移動することが多く、農民たちにとっては大変な仕事でした。

雇役

特定の技能を持つ者が、国や地方の公共事業に従事するための制度です。

例えば、大工や石工など、特定の技能を持つ農民たちは、都市や寺院の建設などの作業に従事しました。

雇役の労働者は、その技能に応じて報酬を受け取ることができましたが、多くの場合、この報酬は実際の労働量に見合わないものであったため、雇役も農民の不満を増大させる要因となりました。

匠丁

匠丁(しょうてい)は、奈良時代に技術や専門知識を持つ者たちを指す言葉です。

彼らは、国家や地方の公共事業に従事するため、特定の技能や知識を持つ者として雇われました。

匠丁は、大工や石工、鍛冶師など、さまざまな専門家たちを指し、彼らは都市や寺院の建設、武器や道具の製造など、多岐にわたる仕事に従事しました。

匠丁の労働者たちは、その技能や知識を活かして高い報酬を受け取ることができましたが、彼らもまた、重税や労役の負担に苦しむ農民と同じように、不満を抱えることが多かったのです。

歳役

歳役は、年に一度、特定の日に農民が労役として働く制度を指します。

この制度の下、農民たちは、その日に指定された場所での労働に従事することが求められました。

ただし、この労役は、短期間であり、農民たちの生活に大きな影響を及ぼすことは少なかった。

仕丁

仕丁(しちょう・じちょう)は、宮中や貴族の家での奉仕を担当する農民を指します。

この制度の下、選ばれた農民たちは、一定期間、宮中や貴族の家での様々な仕事に従事しました。

これには、料理や掃除、庭の手入れなど、日常的な家事から、特定の儀式や行事での奉仕まで、幅広い仕事が含まれました。

墾田永年私財法

墾田永年私財法は、農民が開墾した土地を私有地として保持することを認めた法律です。

この法律の下、農民たちは自らの努力で開墾した土地を、自分のものとして持つことができるようになりました。

これにより、農民たちは土地を開墾する意欲を持つようになり、日本全体に農地が増加しました。

農民逃亡

税制や労役制度は農民たちにとって大きな負担となり、多くの農民がこれらの制度の下での生活を維持することが困難と感じるようになりました。

このため、多くの農民が土地を放棄し、逃亡することを選択しました。

さらに、税の徴収や労役の動員が不公平であったり、一部の役人の不正や横領が原因で、農民たちの不満は高まりました。

これらの理由から、農民たちは逃亡を選択し、新たな土地で新しい生活を始めることを選んだのです。

中央集権的な体制の下での税制や労役制度が、後の時代においても継続的に問題視されることとなりました。

農民逃亡の結果と影響

農民逃亡の結果、多くの農地が荒れ果て、耕作放棄地が増加しました。

これにより、国の税収が大きく減少し、国家財政に影響を及ぼすこととなりました。

また、労役を提供する農民が減少したことで、公共事業や建築活動が滞るようになりました。

このような状況は、中央政府の権力低下を招く要因となり、地方豪族の力が増大するきっかけとなりました。

また地方の豪族たちは私兵を持つようになり、これが後の武士の原型となりました。

農民たちの逃亡や反乱は、日本の歴史における武士の誕生のきっかけとなりました。武士誕生のきっかけ

これらのルールができたことにより農民たちの逃亡や反乱が増加し、対処するため、地方の豪族たちは私兵を持つようになり、これが後の武士の原型となりました。

農民たちの逃亡や反乱は、日本の歴史における武士の誕生のきっかけとなりました。

奈良時代の農民逃亡の背景:まとめ

  • 奈良時代は大化の改新から平安時代の初めを指す
  • 中央集権的な国家構造の基盤が形成された時代
  • 中国の影響を強く受け、文化や政治、経済に変革が見られた
  • 農民の生活や税制に大きな変化、後の農民逃亡の原因となる要素が生まれた
  • 文化は中国や朝鮮半島の影響を受け、独自のスタイルが生まれた
  • 仏教が盛んで、大規模な寺院如東大寺や法隆寺が建立された
  • 政治面で天皇を中心とする中央集権的な国家体制が確立
  • 律令制度の導入で国の統治機構や法制度が整備された
  • 律令制度の税制で、租庸調という三つの主要な税が存在
  • 農民は重税のため逃亡や反乱を起こす原因となった

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